7月30~31日に開催される金融政策決定会合で日銀はどう動くのか(写真:Bloomberg)/>
日本銀行は3月19日、マイナス金利政策とYCC(イールドカーブコントロール=長短金利操作)を撤廃した。政策金利は▲0.1%から0.1%に0.2%ポイント利上げされた(実際には▲0.1%のマイナス金利の適用対象は全体のわずかであり、日銀の各種貸出制度の金利は0%から0.1%に引き上げられたので0.1%ポイントの利上げと呼ぶのが実情に近い)。
■長期金利は1%超が定着
また、短期金利だけでなく長期金利(10年物国債金利)を操作対象としていたYCCが撤廃されたことで、1.0%の長期金利の上限のメドはなくなった。実際、月間約6兆円の買い入れは撤廃前後で変わっていないにもかかわらず、3月の撤廃当時0.7%台だった長期金利は1%を上回るようになっている。
このように超金融緩和から政策正常化に向けて最初の一歩を踏み出した日銀だが、円安は止まらなかった。
3月19日時点で149円台だったドル円レートは4月下旬には160円近くまで円安が進行し、4月下旬から5月にかけて約9.8兆円という史上最大規模のドル売り円買いの市場介入が行われた。介入後は154円付近まで円高になったものの、その後再び円安が進み、6月下旬には160円を突破、7月に再び介入が実施されたとみられる。足元では150円台前半の推移となっている。
日銀が政策正常化に踏み出したにもかかわらず、円安傾向が続くのはなぜだろうか。
よく聞く説明は「日本の金利が上昇したといってもわずかであり、日銀は緩和的な金融環境を続けると言っている。日米の金利差は大きくは縮小しない」というものである。
ただ、アメリカでは9月利下げの観測が強まっており、為替に影響力が大きいとされる2年物金利は6月FOMC(連邦公開市場委員会)直後の4.8%付近から4.5%付近に低下している。その中で介入が必要なほど円安が進行したという事実をどう捉えればいいのだろうか。
日本に限らず先進国の中央銀行総裁は為替に言及することを避ける。その理由は、①為替が金融政策の目標でないこと、②為替が金融政策でコントロールできないこと、の2点である。どちらも正しい。
ただ、それは金融政策が為替に影響を与えないことを意味しない。そもそも為替とは2つの通貨の価値の交換であり、通貨の価値に金融政策が影響を与えることは自明だ。為替は金融政策で自在にコントロールできるものではないが、影響を与えるのは間違いない。
その際、重要になるのは金融政策のスタンス、つまり政策の方向性である。この点、「高圧経済」脱却をまだ市場に印象付けられていない日本と、とうの昔に脱却した欧米との違いは鮮明である。その差が円安を招いている。
■高圧経済脱却の鮮明化がカギ
筆者は、7月30~31日に予定されている日銀の次回金融政策決定会合でこの高圧経済戦略からの脱却がどの程度鮮明に示されるかに注目している。もし脱却への意思が中途半端であれば、再び円安が進む可能性がある。アメリカが9月に利下げしたとしても、である。
では、高圧経済とは何か。
高圧経済は英語で「High-pressure Economy」と言い、2016年に当時のイエレンFRB(アメリカ連邦準備制度理事会)議長が講演で言及して以来、一般にも知られるようになった。日本はもちろん、当時は欧米でもインフレ率が目標の2%を下回る状況が続き、金融緩和が長期化していた。
人々の期待インフレ率が2%から下振れし、日本のようなデフレに陥らないようにするために、景気がよくなっても金融緩和を続け、人為的に景気の過熱感を作り出すことで経済の「体温」を上げることを目指す戦略だ。
この高圧経済戦略は欧米ではとっくに終わっている。コロナ禍の強制貯蓄(消費したくてもできなかった所得の積み上げ)が一気に消費に向かい、労働市場は人手不足で賃金が大幅上昇、そこにウクライナ戦争でエネルギー価格が急上昇するショックが加わって、FRBやECB(欧州中央銀行)は急ピッチで利上げを行った。
利上げがどの程度の引き締め効果を生んでいるかをみるには「自然利子率」が物差しとなる。自然利子率とは、景気を過熱もさせず冷やしもしない景気に中立的な実質金利を指す。これを実際の実質金利(名目金利から期待インフレ率を引いたもの)と比較して、実際の実質金利が自然利子率を下回れば緩和的、上回れば引き締め的となる。
概念は明快だが、自然利子率は客観的に観察できないので推計するしかない。自然利子率は中長期でならせば経済の実力を示す潜在成長率に近似するはずであるが、短期的には景気循環などの影響を受ける。推計方法もさまざまある。しかも手法によって推計結果に幅がある。ある手法による推計値を基にすれば緩和的だが、別の推計値では引き締め的ということも起こりうる。
こうした限界はあるものの、近年のスタンダードとなっている推計法として、元FRB金融政策局長の故トーマス・ローバック氏と現ニューヨーク連銀総裁のジョン・ウイリアムス氏らが開発したHLWモデルがある。今年7月のECBフォーラムでウイリアムス総裁自身がアメリカとユーロ圏の自然利子率の推計を報告している。
■アメリカに関しては意外な推計結果が出る
その結果をみると、①自然利子率(青色)は米欧とも低下傾向(=潜在成長率の低下)、②コロナ禍前の自然利子率と実際の実質金利(黄色)との関係は、ユーロ圏でははっきりと実質金利が自然利子率を下回り緩和的であったのに対し、アメリカではおおむね両者が同じ動きをしており意外にも金融政策は中立的であったことを示唆、③足元ではアメリカ・欧州とも実質金利が自然利子率を上回り引き締め的である、といった点が読み取れる。
特に、②は、2016年にイエレン議長が高圧経済に言及したアメリカが必ずしも高圧経済戦略を採っていなかったことを意味して興味深い。マイナス金利政策を採用したユーロ圏と採用しなかったアメリカの差ということかもしれない。
では、日本はどうであろうか。今年5月の日銀主催の国際コンファランスで内田副総裁は日本の自然利子率について6つの手法による推計値を示した。
これを見ると、日本の自然利子率はマイナス1.0%からプラス0.5%の間でばらついている。一方、実質金利は1年物でマイナス2%、10年物でマイナス1%となっており、どの推計法からみても依然緩和的な状況が続いているといえる。特に1年物の実質金利は期待インフレ率の上昇に伴いさらに低下しており、緩和度は高まっている。
■市場が高圧経済思考を捨てられない?
日本が依然緩和的な金融環境であることは日銀が高圧経済戦略を採用しているかを判定するうえで必要条件ではあるが十分条件ではない。高圧経済戦略の肝は「物価が上昇しても実質金利をさらに低下させる」ことである。すなわち、名目金利の上昇を抑えて景気の過熱や物価上昇圧力の拡大を目指す点にある。
この点、植田和男総裁は今年5月の講演で「基調的な物価上昇率が高まっていけば、『物価安定の目標』実現の観点から適切となる金融緩和の程度も変化しますので、緩和度合いを調整していくことになると考えられます」と発言している。つまり、2%目標実現の確度が高まれば緩和度を小さくする方向で調整するとして、高圧経済戦略は採らないという宣言だ。
事実、3月の政策正常化を決めた声明文や4月会合の声明文で見られた「当面、緩和的な金融環境が継続する」という表現は、6月には声明文からも記者会見発言からも審議委員の意見を取りまとめた「主な意見」からもなくなっている。
つまり、日銀内では「利上げは様子見して緩和度を高め、2%目標達成を確実にする」という高圧経済戦略は採らない意思は5月から6月にかけてより明確になったといえる。期せずして円安の進行と軌を一にしている。
問題はそれが市場に明確に伝わっているかである。市場には「日銀は利上げに慎重で緩和的な金融環境が続く」という見方が浸透している。
確かに、個人消費は弱めであり、需給ギャップもようやくゼロに戻ったという点を捉えれば利上げが必然とはいえない。また、7月会合はQT(国債買い入れ減額)のプランを発表するため、利上げはその市場の反応を消化してからという点も理解できる。さらに、9月のFRBが利下げするなら同時に日銀が利上げを行うほうが効果的という判断もあるだろう。
一方で、円安に伴い輸入物価の上昇は続き、エネルギー価格も高止まりしている。また、食料品など今後も値上げラッシュが続き、企業の価格設定は強気化している。インフレの上振れリスクがあるならばリスクマネジメントの観点から7月の0.25%への利上げは十分に正当化できる環境にあると考える。
市場は「7月利上げなし」がコンセンサスになっているが、利上げ確率を過小評価しないほうがよいと筆者は考える。
仮に7月に利上げがなくても「インフレの上振れリスクがあるなかでリスクマネジメントの観点から利上げは正当化できる」といった9月利上げを示唆する踏み込んだメッセージで高圧経済の考え方から完全脱却したことを印象付けようとするのではないか。
逆に万が一「当面、緩和的な金融環境が継続する」といった表現が復活すれば、さらなる円安の引き金を引くことになるだろう。
■QTは月額4兆円に減額し「オートパイロット」へ
7月会合では今後1~2年のQTのプランが示される。日銀はマイナス金利やYCCの撤廃を決めた3月会合で「短期金利の操作を今後の主たる政策手段とする」と明言している。買い入れの減額で金融政策スタンスを示すかのような注目の浴び方は望ましくないと考えているはずだ。
FRBの政策正常化の順序は、①まず利上げを先行、②ネットの国債買い入れ額を減額(テーパリング)、③国債買い入れ額を全額再投資レベルに削減(残高一定)、④残高削減(QT)の順番を踏んでいる。
そして、QTについては残高削減のプランを事前に示している。市場環境によってペースの調整はありうるが(実際、今年6月から削減ペースが減速された)、あくまでも金融政策スタンスは政策金利の調整で示し、QTは極力機械的に実施する「オートパイロット(自動運転)」である点を強調している。
■FRBと同じアプローチを取りたい日銀
日銀も「短期金利の操作を今後の主たる政策手段とする」と明言している以上、FRBと同様の「オートパイロット」アプローチを採用したいはずである。実は現在の月間6兆円の買い入れはほぼ月間の償還額と見合っており、日銀はすでに③のフェーズにいる。
したがって、減額は④のQTの開始を意味するが、FRBの例にならえば「8月から半年間は月間4兆円、その後半年ごとに0.5兆円ずつ買い入れ額を減額する。これまで同様、買い入れ額にはある程度の幅を持たせ柔軟性を確保する。金利が大きく変動する場合は機動的な買い入れを行う。2年経過後については市場環境を踏まえて改めて計画を公表する」といったプランが考えられる。
これを機に買い入れ額ではなくFRB流に保有残高の削減幅をターゲットとすることも考えられる。具体的には「8月から半年間は国債保有残高が月間で2兆円減少するように再投資を行い、その後半年ごとに0.5兆円ずつ減額幅を増やしていく」といった具合である。このほうが政策正常化をより明快に印象付け、円安抑止には役立つだろう。
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